Wakiya 脇屋友詞 伝統と創作

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赤坂をどりと育子姐さん

江戸時代、赤坂には溜池という大きな池があり、周辺には各藩の大名屋敷が混在していた。溜池は蛍が飛び交う風光明媚な場所として知られ、近くには茶店がつくられた。それが後々の赤坂花柳界となる発端だったそうだ。昭和30年には芸妓が約300名、料亭が80軒あったといわれる。

僕が生まれたのは昭和33年3月、その15年後、昭和48年に赤坂の老舗『山王飯店』に入社した。赤坂には黒塀で覆われた料亭が沢山あり、芸妓さんが街を歩く姿を休憩時間によく見かけたものだ。

当時は、草野球が流行っており、料亭や中国料理店など色々な店舗同士で早朝野球をすることがあった。店を超えた横のつながりがあり、芸能界や政財界の多くの著名人が訪れる赤坂の街に、10代の頃から愛着を持っていたのだと思う。

その後、多くの料亭が看板を下ろし、芸者衆が段々と少なくなる中、自分には高嶺の花、芸者衆とは縁もゆかりもないという状況ながら、10代の頃を過ごした街が懐かしく、店を出すなら赤坂にと気持ちが駆られ、2001年に『Wakiya一笑美茶樓』を開店した。

その一笑美茶樓で、なんとあの東京でナンバーワンの芸者、育子姐さんと出会った。お姐さんは色々な方を食事に連れてきてくださり、そこから仲良くなっていくのだが、育子姐さんを通して伝統の芸能や文化の奥深さを知り、もっともっと知りたいとのめり込んでいった。「赤坂をどり」を盛り上げようと、昔の『口悦』に和洋中の料理人を40人近く集め、育子姐さんに頼み込んで安い花代で歌や踊り、三味線を勉強させてもらったこともある。また、一笑美茶樓では「赤坂をどり」と美食で粋な時間を楽しむ会を開き、僕のお客様に喜んでいただいた。

育子姐さんは昔ながらの方で、若い子達は、礼儀作法は当然のこと、話し方、おしゃべりまでしっかりと叩き込まれる。そんな姐さんでも「まだまだ勉強よ、あなたもいらっしゃい」と連れて行っていただいたのが、赤坂の有名なゲイバー『ニューはる』。「この方たちの接客は、私達も勉強になるのよ」と。その姿に驚き、「人間はいつまでも良いものを教わるという姿勢が大切、それを忘れちゃいけないのよ」と、教えられたのがついこの間のようだ。

そうこうする間にもうちの店を応援していただき、僕も姐さん達を応援する。そうすると姐さんはまた何か力を貸してくださる。人間としても素晴らしく、2016年には芸者の世界では初めて旭日双光章を受章された。あのNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも取り上げられている。自身の芸を磨き続けるとともに、現在も若い芸妓を教育し、伝統文化に携わる芸者衆の地位向上に尽力されている。

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」

武者小路実篤

僕にとっては料理の道がそうであり、どんな道でもその人を生かす道というのは終わりがない。育子姐さんは芸の道の先輩として、その道をずーっとずーっと先を歩き続けている。

「味の手帖」(2021年1月号掲載)
イラスト=藤枝リュウジ

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