中国料理を代表する乾貨(高級な乾物)の一つ。乾燥ナマコを大きな寸胴鍋のたっぷりの水の中に入れて火にかけ、75〜80℃くらいの温度帯で火を止め一晩おく。たっぷりの水量があることで翌朝までにゆっくりと温度が下がり、その過程でナマコはほんの少しずつ戻る。ワタや砂などを取り除きながら日にちをかけて戻すと、大人の人差し指ほどだった乾燥ナマコが15〜20㎝にまで膨らみ、ブワッと肉厚になってくる。
見習いに入ったばかりの頃、先輩が作業して2、3日目になるナマコを何も知らずに素手で掴み「これ何ですか?」と尋ねた。するといきなり「お前の手の油でナマコが溶けるんだ! 石鹸と塩で手を洗ってから触れ!!」と烈火のごとく怒鳴られ、乾燥ナマコは油分が苦手で、手や鍋についている油で溶け出してしまうことを教えられた。これが47年前の僕のナマコとの出会いである。
その後、縁あって「檜山のナマコ大使」を務めさせていただいている。北海道檜山地方では古くからナマコの生産が盛んで、乾燥などの加工技術も江戸時代からあったそうだ。一時期、乱獲によりナマコ資源が枯渇し、檜山でもナマコ事業を縮小したという。それが5年ほど前に復活し、以来、採取方法や加工に工夫を凝らして『檜山海参』というブランドを作り上げたのだ。
一昨年檜山を訪れ、ナマコ漁、加工の様子を見学させていただいた。ナマコ漁師さんが潜水服を着て一つ一つを手で捕るため、キズなどのダメージが少ない。一緒に船に乗り込むと、その漁には大変な労力がかかることがしみじみと分かる。採ったナマコの加工はやはり漁師さんが手掛けていて、昔ながらの乾燥ナマコのほか近年はフリーズドライにも成功している。イボ立ちが良く、肉厚な檜山のナマコを見ると色々な料理のアイデアが浮かんでくる。視察後、10種類ほどのナマコ料理を披露し、漁師さんや漁協の皆さんに喜んでいただいた。地元ならではのナマコの食文化が成長すれば、檜山海参がもっと外に広まって行くのではないかと思っている。
その夜は、漁師さんとお母さん方に、俗にいう「番屋」に呼んでいただき、みんなで酒盛りとなった。新鮮な魚、ナマコ、飯にお酒、思わず歌が出てくる。まさに北原ミレイの『石狩挽歌』の世界を思い出すなぁ、ふとそんなことを思っていると、一人の漁師さんが「素晴らしい江差追分を歌う女性がいる!」と言うではないか。電話をかけ待つこと15分、現れたのは、江差追分日本一の木村香澄さん! お酒がたっぷり入り、お腹いっぱいになったところで聞く歌声は、おおっと叫びたくなるような情感のある声である。透き通った声に海から流れてくる風の音と波の音、番屋で飲む酒の美味さ、みんなの手拍子に、写真で見たニシン漁が盛んな頃の檜山の風景が頭の中に浮かんでくる。
ナマコ漁師の方々、またそれを支えるお母さんたちに心から感謝。忘れることのできない一日になった。
「味の手帖」(2020年6月号掲載)
イラスト=藤枝リュウジ